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文芸サークル「鉄人四迷」のページ

文芸サークル「鉄人四迷」のページです。 オリジナルの小説・詩・脚本を発表しています。

「ミスタートラベル」(小石薫)

――どこまで行こうか。ミスタートラベル。
――そうだな。今日は天気も良いし、マスターのところまで足を伸ばそう。
車庫のシャッターを開けると、おじいちゃんの使うペンキのにおいがした。今、お父さんは車で出かけているから、車庫から自転車を出すのも簡単だ。車にぶつける心配がない。

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――どこまで行こうか。ミスタートラベル。
――そうだな。今日は天気も良いし、マスターのところまで足を伸ばそう。
車庫のシャッターを開けると、おじいちゃんの使うペンキのにおいがした。今、お父さんは車で出かけているから、車庫から自転車を出すのも簡単だ。車にぶつける心配がない。
――マスターのところか。ホットサンド焼いてもらおうかな。
ガタン、と良い音を立てて、スタンドが上がる。
――温かいココアもつけてもらうのはどうだろう?
陽の光を浴びた銀色の自転車は、いつもどおり素敵だ。
――それいい! ナイスアイデア。
飛び乗って、自転車をこぎだした。アスファルトの上をスムーズに走り出す。はじめは「2」から。こいでスピードが出てきたら、「3」、「4」とギアをあげていく。ペダルの踏み応えが楽しい。
 長かった夏も終わって、秋風が吹き始めて、少し寒い。薄めとはいえジャンパーを着てきたのに、自転車に乗って風を切ると、それでも少しつらい。首をすぼめて走らせていたら、向こうから近所のおじいさんがジョギングしてやってくるのが見えた。
「女の子があんまり――」
「こんにちわ。おつかれさまですぅ」
 すれ違うとき、わざと言葉を重ねてあいさつした。「女の子があんまり自転車で飛び回るもんじゃない」って、いつも言われる。「あのね、おじいちゃん。時代は変わったんだよ」なんて前に言ったら、本気で悲しそうな顔をされたから、今では聞き流すことにしている。
 途中、横断歩道の信号が赤だったので、仕方なく自転車を降りて待っていたら、遠くの山の、紅く色づき始めているのが見えた。わぁ、と、思わず声が出た。
――ミスタートラベル。なんだか嬉しいね。
――あそこまでいってみようか。
――うぅん。今日はやめとこう。また見ごろになってから。
行ってみたい場所がまた一つ増えて、胸がはずんだ。

 マスターのお店は、シックな感じの喫茶店だ。入り口のドアを開けると、ドアについたベルがなって、マスターがいつもの笑顔で出迎えてくれる。マスターのお店にはいつも、マスターの笑顔と同じ、優しい音楽が流れている。
「ユイちゃん、いらっしゃい。今日は一人かい」
「ううん。ミスタートラベルも一緒」
そう言いながらカウンターに座ると、マスターは一層明るく笑って、そうかい、と言った。
「マスター、ホットサンドと、あったかいココア」
私も笑って、メニューを頼んだ。
 マスターのお店のカウンターの上には、色々乗っている。大小のガラス玉が赤い布の上に置いてあるのとか、青いガラス細工のゴンドラで触るとゆらゆら揺れるのだとか。マスターはガラスが好きなんだ。聞いたわけじゃないけど、みんないつもぴかぴかに磨かれているから、それがわかる。私だって、大好きな自転車を、いつも磨いているもの。
「今日も、シューティングスターに乗って来たのかい?」
マスターが、カウンターそばのコンロでパンを焼きながら、ゆっくりした調子で言った。そう、シューティングスター。私の自転車の名前。
「うん。いつも通り」
「寒かったろう」
「ちょっとね。でもまだ平気」
マスターは、私が、自転車にシューティングスターなんて名前を付けていることも、いもしないのに一緒にいるなんていうミスタートラベルのことも、馬鹿にしないで聞いてくれる人で、だから、すごく楽に話ができる。
「誰だって、急にどこか遠くに行きたくなる時があるさな」
マスターは、焼きあがったホットサンドをお皿に移して、カウンターに置いた。それから、ココアを注いだカップを渡してくれた。
「ありがとう」
「そういう時は、さみしいもんでね」
カップを受け取ったら、それだけであったかさが手のひらから体中にめぐった気がした。
「さみしい? 私はよく解んないな」
マスターは静かに笑った。
「僕には、ミスタートラベルがいなかったからね」
ココアをすすりながら、なんとなく恥ずかしくなった。
 マスターのホットサンドは、いつものようにおいしかった。焼けたパンに溶けたマーガリンは、とても幸せになれる。ココアも甘すぎなくて、なんていうか、おいしかった。
「さて、ミスタートラベルは何をご所もうかな? アイスクリームやババロアなどございますが」
食べ終わってしばらくのんびりした後、マスターは仰々しく言った。馬鹿にしてるのでもなく、からかっているのでもなく、ただふざけて遊んでいるような感じが、私はとても好きだと思った。
「ミスタートラベルは、疲れて寝ちゃった」
そう言うと、マスターはまた元の穏やかな調子に戻った。
「それじゃあ、もう帰るのかい」
「うん。ありがとう。おいしかった」
「帰りは一人?」
マスターは言いながら、カウンターの下からピーナッツチョコを取り出して一粒くれた。マスターのお店に来た人は、必ずこのチョコを一つもらって帰る。
「ううん。ミズカントリーロードと一緒」
「じゃあ二つだな」
そう言って、マスターはチョコをもう一粒くれた。
「ありがとう。また来るね」

 外に出ると、来たときより風が少し冷たくなっていた。
――じゃ、帰ろうか。ミズカントリーロード。
――そうね。でもゆっくり行きましょう。わたし、疲れやすいのよ。
秋の高い空を見上げて、小さく息をつく。
――それに賛成。ゆっくり帰ろ。
自転車を押しながら、ゆっくり帰り道を歩く。今、ミスタートラベルは眠っているけれど、やっぱりちょっと遠くに来るのは良いなぁ、なんて思った。

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空疎

あなたはただのゼリーです
見える光は全部嘘
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あなたはただの
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ひとりふるえる
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中編小説「ゼリーの見た夢」より


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六井 象/I

 失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。
 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。


短編小説「鋏」より

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小石薫

美代子は必死だ。一生懸命に声を張り上げて、誰かが、聞いて、興味を持って、自分のいる教室のドアを開けてくれることを、ずっと待っている。
 伝えたいことがあると言った。
 私には、あるだろうか。伝えたいもの。伝えたい気持ち。私の中にあるのは、ぬるく、濡れそぼった、この、寂しさだけ。

短編小説「夕焼け校舎」より


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「ごっつ好きやで」


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「当たり前やろ、俺のたった一人の娘なんやから」


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間。



「やっぱ、別のことしよっか」


「え? なんで? 凄い楽しいのに」


「じゃあ、もっと楽しそうにやれよ。そんな下ばっかり見とったらな、楽しい事も嬉しいことも、いつの間にか全部通り過ぎてしまうぞ」

短編脚本「お父さん」より

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