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文芸サークル「鉄人四迷」のページ

文芸サークル「鉄人四迷」のページです。 オリジナルの小説・詩・脚本を発表しています。

「いちょう」(小石薫)

 その日は、とりわけ早く目が覚めた。起きてみると、体の調子が意外なくらい良かったので、思い立って、近所の神社までいちょうを見に行くことにした。
 家の近くの八幡様には、それは立派ないちょうの木がある。樹齢は、もう二百年を数えるとも言われているらしい。その木が昔から大好きで、思いついては眺めに出かけている。

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 その日は、とりわけ早く目が覚めた。起きてみると、体の調子が意外なくらい良かったので、思い立って、近所の神社までいちょうを見に行くことにした。
 家の近くの八幡様には、それは立派ないちょうの木がある。樹齢は、もう二百年を数えるとも言われているらしい。その木が昔から大好きで、思いついては眺めに出かけている。
 窓から見ると、まだ明け切らない空が、いくつか雲の切れ端を浮かべて、高く、ずぅっと遠くまで続いていた。嬉しくなって外に出ると、秋の朝はやはり寒い。吐いた息が白く、慌てて家に引き返した。それから、マフラーとコートを着て再出発。目的地までは、おおよそ十分の行程だ。
 十分といっても、肌寒い中歩くのは少しこたえる。鳥居のところで一休みしてから、境内へ。いちょうへは、途中まで石畳の参道をたどり、本殿の手前で左に回りこむように道をそれ、社務所と本殿の間の細くなっている道を通って行く。その先に開けた場所があって、向かって左の隅に、件のいちょうがある。ただ通り過ぎるのは申し訳ないので、いつも本殿にお参りをしてからいちょうを見に行くのだけど、恥ずかしい話、最近は鈴を鳴らすのもなかなか上手くいかない。ところがこの時は、上手い具合にガラガラと鳴らすことができて、なんとはなしに、あぁ来て良かったと思った。
 いちょうの木にたどり着いた。相変わらずのしなやかに空を目指す枝振りに、黄金色に彩られた葉。早朝の清冽な風が吹いて、光のように揺れた。
 しばらく見惚れていたら、いつの間にか、いちょうの根元に小さな女の子が座っていた。髪をおかっぱに切り揃えた、白い着物を着た女の子で、歳は、十歳くらいだろうか。着物だけでなく、唇や肌の色が薄くて、全体に白っぽかった。目が合うと、その子はにっこり笑った。ちらっと見えた歯だけは、少し黄ばんでいたようだった。
「あなたは?」
 その子のそばまで歩いて、しゃがみこんだ。女の子は、その日の空みたいに澄んだ瞳をこちらに向けて、一二度瞬きした。
「お前は、今年でいくつ?」
 見た目とは違って、その子の声は深く優しかった。
「今年で、十五」
 お前と呼ばれたことを、少しも嫌と思わなかった。田舎の祖母と話しているような気持ちになっていて、お前と呼ばれても、あぁそうだよなと、素直に受け入れていた。
「十五」
 女の子は、答えた言葉を繰り返した。
「十五か。お前は、大きくなれたんだね」
 不意を突かれて、涙が出そうになった。その言葉の意味が、良くわかる。昔から体が弱くて、小児喘息までわずらっている。それに、年齢が進んでも、なかなか体が丈夫になってくれない。体調を崩した時の喘息の発作は、母に抱かれたまま死んでしまうのではないかと恐ろしくなるほど、辛い。もっと辛い境遇の人と比べれば、それほど死に近いこともないけれど、生きていることが当たり前というわけでもない。
「辛くはない?」
 言われて、首を振った。どんな苦しい時も、このいちょうを見ると、救われるような気がする。だから、この木の前で辛いという言葉を使いたくない。
「あなたは?」
 話を変えたくて、名前を聞いたつもりだった。
「お銀は、少し辛い」
 そのまま聞き返す形になっていて、しまったなと思った。女の子は、悲しそうだった。
「でも、お前が大きくなってくれたから、お銀は、嬉しいよ」
 お銀というのは、その子の名前みたいだった。
「どうして、辛いの?」
 お銀は、いちょうの枝を見上げた。つられて見上げると、気の早い葉が何枚か、風に乗って飛んでいた。
「見ていることしか、できないから」
 声がして、目を戻すとお銀はもういなかった。自然に、涙が一つこぼれた。強く、生きたいと思った。

 その夜、二百年前の夢を見た。神社に娘が生まれ、記念にいちょうの苗木が植えられた。いちょうは、娘に愛されて幸せに育ったが、娘は生まれつき体が弱く、十を数えた年に夭折した。娘の名前はお空といった。お空が次第に弱まり、そしていなくなってしまうのを、苗木のお銀は見ていることしかできなかった。そんな、悲しい夢だった。

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作者紹介

空疎

あなたはただのゼリーです
見える光は全部嘘
聞える音は全部嘘
あなたはただの
ふるえるゼリー
ひとりふるえる
ただのゼリー

中編小説「ゼリーの見た夢」より


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六井 象/I

 失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。
 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。


短編小説「鋏」より

個人サイト

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小石薫

美代子は必死だ。一生懸命に声を張り上げて、誰かが、聞いて、興味を持って、自分のいる教室のドアを開けてくれることを、ずっと待っている。
 伝えたいことがあると言った。
 私には、あるだろうか。伝えたいもの。伝えたい気持ち。私の中にあるのは、ぬるく、濡れそぼった、この、寂しさだけ。

短編小説「夕焼け校舎」より


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金魚風船


「私の事、好き?」


「え?」


「ごめん、いきなり」


「ごっつ好きやで」


「ほんとに?」


「当たり前やろ、俺のたった一人の娘なんやから」


「そっか」


間。



「やっぱ、別のことしよっか」


「え? なんで? 凄い楽しいのに」


「じゃあ、もっと楽しそうにやれよ。そんな下ばっかり見とったらな、楽しい事も嬉しいことも、いつの間にか全部通り過ぎてしまうぞ」

短編脚本「お父さん」より

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