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文芸サークル「鉄人四迷」のページ

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「頭蓋骨の中身」(空疎)

「というわけで、これから君の頭を開かせてもらうよ」
「ちょっと待ってくださいよ」
 僕は安そうなパイプ椅子に日常生活ではあまり触れることのないしっかりしたロープで縛り付けられて、非常に怪しい中年の男性からちょっと信じ難い宣告を受けた。

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「というわけで、これから君の頭を開かせてもらうよ」
「ちょっと待ってくださいよ」
 僕は安そうなパイプ椅子に日常生活ではあまり触れることのないしっかりしたロープで縛り付けられて、非常に怪しい中年の男性からちょっと信じ難い宣告を受けた。
 男性はわざとらしい薄汚れた白衣を着て、どこか雷様を思わせる嘘のようにぼさぼさの白髪頭をしていた。(極めてどうでもいい話ではあるが、俵屋宗達があれ程までも立派な雷様を描いたというのに、どうして日本人は雷様と聞いてこのようなぼさぼさ頭を連想するのだろうか)
 中年の男性は自分を世界的な脳医学の博士だと名乗った。博士という響きが(世の正しい博士号を持つ人々に対して甚だ失礼ではあるが)僕にいっそううさんくさい印象を与えた。
「何も怖がることはないよ。これは非常に安全な実験であるし、成功した暁には君の銀行口座に百万円が振り込まれるのだから、君は今とても稀な幸運を手にしていると言える」
「失敗した暁にはどうなるのですか」
「失敗はしない」
 博士はそう言うと、楽しげな様子で僕の頭に次々と得体の知れないコードを繋ぎだした。
「痛い痛い痛い、何してるんですか」
「コードを刺してるんだよ、君は物分りが悪いな」
「ものすごく痛いんですけど、大丈夫なんですか」
「大丈夫大丈夫」
 博士は至極簡単にそう言いながらも、同時にぶすぶすとコードを刺していった。僕は、気が遠くなるのを感じた。

                     ○

 よく晴れた日曜の午前中、僕は鼻歌交じりに道を歩いていた。今日はこれといってやらないといけないこともなく、とても軽やかな気持ちで暖かな日差しを楽しんでいると、道端で怪しい男に声をかけられた。
「ちょっとそこの君、道を尋ねたいのだがね」
 男はさんさんと照る太陽の下で、どういうわけか薄汚れた白衣を着て出歩いていた。頭は信じられないぼさぼさ具合で、その姿は爽やかな午前の空気からひどく浮き上がっていた。僕は少なからず妙には感じたが、男の目が不思議と澄んでいたのであまり警戒しなかった。大きな過ちだった。
「この道をまっすぐ行くと大通りに出ますから、そこを左に折れて三つ目の信号を……」
 僕は手振りを交えてできる限り丁寧に道を説明したが、どうも男にはあまり話を聞いている様子がなかった。それどころか、なぜかちらちらと僕の背後を気にしている。なんだろうと思い振り返ると僕のすぐ後ろに金属バットを振りかぶった大男がいた。
「うわっ」
「あっ、何をしているんだ。早く早く」
 僕は慌てて両手で頭を守ったが、大男はお構いなしに腕の上からがつんと一発バットを入れた。思わずその場にうずくまると、大男は強引に僕を持ち上げた。
「ほら早くするんだ、早く早く」
 そうして何がなんだかわからないうちに、僕は近くに停めてあった車に乗せられてしまった。
 大男が僕を乗せると、白衣の男がすぐに車を出した。殴られたショックでぐったりしている間に、僕は大男の手によって目隠しをされぐるぐるに縛り上げられてしまった。
 目隠しは行き先を僕に悟らせないようにされたのだろうが、それはあまり効果をなさなかった。白衣の男は道を覚えていないらしくしょっちゅう大男に経路を確認していたからだ。車がどこを走っているのかは、会話を聞いているだけでだいたいわかった。
 それでも遠くへ連れて行かれたらどうしようと心配だったが、車はせいぜい十分くらいで止まった。僕は目隠しをされたまま運び出され、椅子に座らされてからまた改めて縛りなおされた。そこでようやく目隠しをとってもらえた。
「ようこそ、私の研究所へ」
 白衣の男は誇らしげに言った。僕は薄々近所の廃倉庫だろうなと思っていたが黙っておいた。
「急なことでびっくりしたかもしれないがどうか安心してほしい。私は世界的に有名な脳医学の博士だ。君はその世界的に有名な博士の実験台に選ばれたのだよ」
「なんの実験なのか聞きもせずに失礼かもしれませんが、ちょっと協力しかねます」
「そう言わないで。私としてもあまり無理強いはしたくない。ちょっと付き合ってくれたら百万円あげるから」
くれるものならもらいたいが、しかしあまりにも胡散臭すぎた。百万円という小学生のような金額の設定が気の遠くなるほど嘘臭かった。
「ともかくね、なんの実験か聞けば気も変わるよ」
 全くもって気乗りしなかったが、しかし縛られている僕に選択肢はなかった。捕まっているのが近所ということもあって、いざとなればどうにかなるかと思い、僕は話だけ聞いてみることにした。
「それで、僕はいったい何の実験をされるんですか」
「興味が出てきたようだね、いい傾向だ。ときに君は、自分の頭の中に何が入っているのか気にはならないかね」
「何ですって?」
「頭蓋骨の中身だよ」
 博士は僕の目を覗き込むようにしてそう言った。
「頭の中身は、脳みそでしょう。特に気になりませんよ」
「しかし君、自分の脳を見たことがあるかね?」
「ありません」
「それならどうして、そうも断言できるのだね?」
「それはだって……」
 僕はちょっと言葉につまった。
「そこでだ、頭の中を実際に見ちゃおうというのが今回の実験だ」
「誰が見るんですか?」
「君だよ、君」
「どう頑張っても、自分の頭の中を見ることはできないでしょう」
 博士は待ってましたとばかりに誇らしげな顔をした。そしてさっきからずっと気になっていた、僕の目の前においてある怪しげなロボットを片手でぽんと叩いた。
「そこでこのギガンテスくんの出番なわけだ」
 ギガンテスくんは僕の前方三メートルくらいのところに座っていた。それは大小ふたつの立方体を重ねた、わざとらしいくらい典型的なロボットの形をしていた。頭らしい小さい方の立方体には大きなレンズが取り付けられていて、ひとまわり大きな胴体の立方体にはアルファベットの「U」を逆にした形の異様にシンプルなメーターがついていた。
 大きな立方体からはチューブのような手足がびろんとはえていた。ギガンテスくん自体の大きさは一メートルかそこらだったが、椅子に座らされていたので、頭部のレンズはちょうど僕の目線と同じくらいの高さにあった。
 一箇所だけ、いやに目を引くのが黒いコードだ。ギガンテスくんは腰の辺りからうじゃうじゃと黒いコードを延ばしていて、それがなんとも不気味な雰囲気を醸していた。
「たしかに君の目玉ではどうひっくり返っても君の脳みそを見ることは不可能だ。そこを可能にするのがこのギガンテスくんなのだよ。このギガンテスくんから延びるコードを君に繋げばあら不思議、君はギガンテスくんの目を介してものを見ることができるのだ」
「ごくぼんやりと話はわかりましたが、ギガンテスくんという名前はどういうわけですか」
「それは、ほら、義眼とギガンで」
「義眼テスくん」
 誇らしげな表情から一転して、博士は恥ずかしそうに目を伏せた。ギガンテスくんの性能が本当に博士の説明どおりなら、この博士はそれなりに優秀な頭脳をもっているのだろうが、しかし確実に頭が悪いなと僕は思った。
「というわけで、これから君の頭を開かせてもらうよ」
「ちょっと待ってくださいよ」

                     ○

 博士はギガンテスくんから延びるコードを次々と僕の頭に繋いでいった。それは繋ぐというより、刺すと言った方が適切な処置の仕方だった。
「いちいちもの凄く痛いんですが、もう少しどうにかならないんですか」
「こればかりはどうにもならないんだよ。なにしろ直接脳に繋いでるからね。どうしてもね」
「えっ、このコードは脳みそに刺さってるんですか」
「そうだよ。繊細な作業だから、ちょっと素人は黙っていてくれないかな」
「それとしても、麻酔か何かないんですか」
「麻酔なんかしちゃったら君が自分で見れないだろう」
「いや局部麻酔とかいうのがあるでしょう」
「ちょっとそういう専門的なことはわからないな。私は麻酔の免許を持っていないし」
 初めからどん底にあると思っていた僕の不安は、博士と話しているといくらでも下へと降りていった。不安とはこうも奥深いものなのかと僕がひとりで感心していると、博士はぶすりとまた一本コードを刺して、満足げにうなずいた。
「これでよし。さあ始めるぞ」
「あまりの痛みにちょっと目眩がするんですが」
「なんだって。目眩はよくないな。しょうがない、とっておきを君にあげよう。口を開けたまえ」
 痛み止めの薬でもくれるのかと思ったら、博士は僕の口にレモンキャンディを放り込んだ。僕はもうどうしようもないなとだんだん諦め始めていた。レモンキャンディがやたらおいしかったことだけが救いだった。
「準備はいいな、ではいくぞ。ギガンテスくん起動だ」
 そう言って博士がギガンテスくんをいじると(何かに手間取って五分くらいかかっていた)、僕の視界は突然真っ暗になった。
「え、何も見えませんよ」
「待てよ、ちょっと待ってて、ここをこうして、こう? いや……あ、こうだこう、思い出した」
 博士がギガンテスくんをもうひといじりすると、視界が急に明るくなった。すると僕のすぐ前に、頭から無数のコードをたらしたひどく見栄えの悪い男が情けない顔で椅子に縛られているのが見えた。僕だ。
「あ、すごい、見えました見えました」
「ほらね、成功だ」
 口をきくのは僕の体の方なので、なんだか変な感じがした。僕は僕の目の前で、焦点の合わない目をして、ひとりで変にはしゃいだ声を上げていた。
「だけどこれは……。思いのほか気分の悪い眺めなんですが」
「それは私のせいではないな」
 しかし散々疑っていたギガンテスくんの機能は本物だった。まさか機械の目を通して物を見るなんてことができるとは。僕は悔しいが博士に若干の敬意を感じてしまった。ギガンテスくんの目は僕の自由にならないらしく、視界がまったく動かないのは少し気持ち悪かったが、それでも僕は素直にすごいと感じた。
 ただそれにしても、改めて外から見た自分の姿は想像以上にみすぼらしかった。普段から鏡で見慣れてはいるものの、僕は博士の実験とは無関係なところで辛くなってしまった。僕はなんでこんな仕打ちを受けなければいけないのかと、また悲しい思いをした。
「たしかに博士、ギガンテスくんはすごいんですが。そろそろロープはほどいてもらえませんか」
「しかし君、今になって逃げられたりしたらたまらんからな。とっておきの飴もあげてしまったし」
「脳みそにコードを刺されたまま逃げたりしませんよ」
「ふむ、それもそうだな」
 そうして僕はようやく体を解放してもらえた。しかし中年の男にロープを解かれる自分の絵はやはり気分のいいものではなかった。そのうえ解いてもらったら解いてもらったで、頭からコードを垂らしながら椅子にぐったりと座る自分の姿はいずれにしろみすぼらしかった。
「さて、ここからが本番だ」
「え?」
「いよいよ君の頭蓋骨を開封するぞ」
 僕はギガンテスくんの機能に感動して、本来の目的をすっかり忘れていた。そういえば僕はこれから頭を開けられて、自分の脳みそを見せられるのだった。さっき話を聞かされたときには有耶無耶になってしまったが、はっきり言って僕は自分の脳みそなど微塵も見たくない。
「あの、博士」
「なんだね」
 博士は僕の体に向かって言った。
「すみません、ギガンテスくんの方を向いていただけますか」
「あぁ、そうか。しかしこれは変な感じだな。それでなんだというのだね」
「僕は自分の脳みそなんてちっとも見たくないんですが」
「君という奴は、今さら何を言い出すんだ。現代人たるもの、自分の脳くらい一度は見ておいたほうがいいよ」
「博士は御自分の脳みそをご覧になったんですか」
「ないよ、だって気持ち悪いだろう」
「話がおかしいじゃないですか」
「それはそれとしてね。そろそろ帰ってきたかな?」
 博士が振り返ると、ちょうどさっきの大男がビニール袋を片手に提げて博士の研究所に入ってきた。
「博士、買ってきました」
「よしよし、ちゃんと上等なヤツを買ってきたね?」
「一番高いのを買ってきました」
「飴はあった?」
「いえ、ホームセンターにあの飴は……。やはり専門店に行かないと」
「そうか……。彼が最後のひとつを食べちゃったんだよね」
「お気の毒です」
 僕が勝手に飴を食べたように言われていささか気に入らなかったが、しかし僕はそんなことがどうでもよくなる程に嫌なものを目にしてしまった。博士は大男からビニール袋を受け取ると、中からいかにも安そうなノコギリを取り出したのだ。
「待ってくださいよ」
「なにかね?」
「それは何に使うんですか?」
「決まってるだろう、君の頭蓋骨を切り取るんだ」
 そう言うと博士はまた例の誇らしげな顔で、ノコギリから薄いビニールのカバーを取り外した。
「それでですか? 嘘ですよね?」
「本当」
「死んじゃいますよ」
「大丈夫大丈夫」
 さすがに黙って頭を切られるわけにはいかないので、僕は椅子から立ち上がった。
「あ、こら。やっぱりロープを解くんじゃなかった」
「あまり動かれると危険ですよ」
 しかし立ち上がってはみたものの、僕にはまったく考えがなかった。逃げようにも、僕はまだギガンテスくんに繋がれたままだった。脳に直接刺さっているらしいこのコードを引きちぎったりしたら、あまり面白いことにはなりそうになかった。その上今の僕はギガンテスくんからものを見ているので、自分の体だというのにラジコンでも動かしているようなもどかしさがあった。とりあえず拳を構えて交戦の構えを見せてみたが、それももたもたとして自分で見ていてなんだか気の毒になってしまった。
「ともかく、それで頭を切らせるわけにはいきません」
 僕はびしっとノコギリを指差したつもりだったが、僕の体は見当違いの虚空に向かって指を突き出していた。
「どれ?」
「そのノコギリですよ」
 なんだかひどく情けなくなってきた。離れたところから自分が動くところを見ていると、僕の気力はみるみる削がれていった。
「脳医学の世界で極めて名の知れた私が大丈夫だと言っているんだから、安心して切られたまえ」
「案外たいしたことはありませんよ」
「ほら、いい加減聞き分けて椅子に座りなさい」
 二人から諭されるように言われるとなんだか力が抜けてきて、僕の体はがっくりと椅子に座り込んでしまった。
「そうそう。動くとかえって危ないからね。ギガンテスくんも問題なかっただろう?」
「本当に危ないことはないんですね」
「大丈夫大丈夫。ギガンテスくんも問題なかっただろう」
 大丈夫と連呼されるたびに僕の疑念は膨らんだが、しかしあんなに怪しかったギガンテスくんもこうして見事に機能している。不安はまだ無尽蔵にあったが、僕はとうとう諦めて身を任せることにした。
「そうそう。そうしておとなしくしていたまえ。さあ、始めるぞ」
 そう言うと博士はついに僕の頭にノコギリを入れだした。博士はギガンテスくんに背を向けているので何をしているのか見えなかったが、ギコギコと嫌な音が聞こえてきた。離れて見えているのに音はすぐ近くからするので、またいっそう気持ち悪かった。
「あ、待ってくださいよ。それギガンテスくんのコードはどうなるんですか」
「私を誰だと思っているんだ。ちゃんとそこはうまくやる」
 確かに博士はどうやら小刻みにノコギリを動かして、コードを避けながら僕の頭蓋骨を細かく切り分けているようだった。僕の(正確にはギガンテスくんの)目の前で、僕の頭は怪しい男に次々とバラされていった。どういうわけか、痛みはなかった。
「本当に、なんともありませんね」
「だろう、なにしろとっておきの飴だからね」
「あれはやっぱり、痛み止めだったんですか?」
「言ってみればそうだね。美味しすぎて痛みくらい忘れちゃうから」
 信じていいのか悪いのかわからないことを言いながら、博士は躊躇なく僕の頭を切り分けていった。何をしているのかよく見えないので意外と恐怖感はなかったが、それにしても気持ちのいいものではない。目を閉じてしまいたかったがギガンテスくんの目はやはり僕の都合では動いてくれなかった。僕は自分の体の周りでノコギリを持った中年がごそごそ動く様子をじっと見せつけられた。
「博士、これはちょっと……」
「あぁ……。いや、大丈夫だろう。大丈夫大丈夫」
「うぅん、しかしさすがに……」
「ほら、こっちをこうすれば、ね」
「あぁなるほど。博士、流石です」
 ふたりは僕の不安をどこまでも深みに落としこみながら、足元に頭髪のついた僕の頭蓋骨をぼとぼとと落としていった。僕はそのいい加減な扱いにいささか不満を感じたが、そうこうする間にとうとう僕の頭の開封は完了したようだった。
「あぁ、これは……」
「なるほど。まぁ彼ではこの程度だろうなぁ」
「なんですか、ちょっと僕にも見せてくださいよ」
「や、これは失礼」
 僕の頭を覗き込んでいた博士は、くるりと僕(つまりギガンテスくん)の方に体を向けた。博士と並んでいた大男も一歩下がり、僕の体と我がギガンテスくんの間を空けた。
「見たまえ、これが君の、頭蓋骨の中身だ」
 博士はそう言って、ノコギリを持った右手で僕の頭を示した。
「ここからじゃ見えません」
「なるほど、それもそうだ。君、ギガンテスくんを動かすぞ」
 博士と大男はふたりがかりでギガンテスくんを持ち上げ、頭の中が見える場所まで運んだ。そして僕は生まれて初めて、自分の目(厳密にはギガンテスくんのだけれど。自分でもだんだん忘れそうになる)で自分の頭の中を覗き込んだ。
「これが、そうなんですか」
「そうだよ。言ってみれば、これが君だ。ときどき勘違いする人がいるけど、ギガンテスくんは目の代わりをしているだけだからね。君は今、ここにいるわけだ」
 そう言って博士は僕の脳みそをいい加減に指差した。博士の指の先には、黒いコードの突き刺さった(本当に脳みそに直接刺さっていた)、うすい肌色のシワシワの塊が、透明の液体の中に浮かんでいた。知識として脳みそがこんなものだと知ってはいたが、実際に見てみるとそれは思った以上に呆気なかった。
「どうだね、自分の脳を直に見た感想は」
「いやぁ、なんとも……」
「聞いた話では、この中を電気の信号が走ると、それが思考になるそうだ。今は何を考えてるかな? (そう言いながら博士は僕の脳みそを覗き込んだ)何か知らないが、それもこの気味悪い塊の中を電気の信号が走った結果だ。ごらん、これが君の正体だよ。見るに君はまだ若いから、夢や希望もあるだろうが、それもつまりはこれだよこれ。たったこれだけ。どうだね? どう思うね、君は?」
「別に……」
「そうか、私もだ」
 実のところ、これが自分の脳みそだといわれてもいまひとつ実感が湧かなかった。へぇ、という以上には感慨もなかった。むしろ僕には弛緩しきった自分の顔を間近で見たことの方がショックだった。
 僕が自分の顔に気をとられていると、あろうことか博士は僕の脳みそを指で触ろうとしていた。
「ちょっと、何してるんですか」
「ほぉ、豆腐みたいな感触だ。君も触ってみたまえ、こんな機会二度とないぞ」
「え、本当ですか」
 僕は好奇心を刺激され(これも電気の信号なのだろうか)、ラジコン操縦で自分の体を操り指で脳みそをつついてみた。
「うわ、本当に豆腐みたいですね」
「君、あまり調子にのってはいけないぞ。やりすぎるとえらいことになるかもしれん」
「大丈夫ですよ、自分のことは自分が一番わかっています」
「その辺りにしておいた方がよろしいのでは……」
「大丈夫大丈夫、ほらこのくらい……」
「あ」「あ」「あ」
 僕が指で突っつきまわして遊んでいると、僕の脳みそは僕(しつこいようだがつまりギガンテスくん)の目の前でぐしゃりと潰れてしまった。
「博士、これは大丈夫でしょうか」
「わからん、なにしろこんなことは初めてだ。おい君、大丈夫かね」
「意外と……」
 僕の脳みそは潰れてしまったが、僕は案外なんともなかった。そうは言ってもたったひとつの脳みそが潰れてしまったのだ。これは一大事のような気がした。
「じゃあ別にいいかな。いいよね?」
「いいわけがありませんよ。責任をとってください」
「私になんの責任があるというんだ」
「しかし博士、このまま彼をほうっておくというのはあまりにも」
「ふむ、それもそうだな。気の毒ではある。ちょっと待っていたまえ」
 そういうと博士はどこか倉庫の奥へ消えていった。僕は初めて大男と二人きりにされて、いささか気まずかったけれど、幸い博士はすぐに戻ってきてくれた。
「これだこれ、これで万事解決」
 そう言って博士が誇らしげに見せてくれたのは、瓶詰めのイチゴジャムだった。
「それがなんなんですか」
「私を信じて見ていなさい。なにしろ私は世界的なアレだから」
 博士は何かむにゃむにゃ呟きながら、信じられないことに、僕の脳みそをまとめてすくい出してしまった。
「え、大丈夫なんですか」
「どうせ潰れてるんだ、もういらないだろう。君がまだ口をきいているのが大丈夫な証拠だ」
 そう言って博士は僕の脳みそを足元のポリバケツに捨ててしまった。同時にコードが全部抜けたらしく、僕の視界は真っ暗になった。
「ほら、これでまぁ、いいだろう」
「何をしてるんですか」
「私を信じたまえ」
「博士、これで本当に問題ないのですか」
「君まで何を言うんだ、被験者が不安になるだろう」
「ちょっと教えてください、何をしてるんですか」
「ほら、さっさと頭蓋骨を閉めるぞ」
 博士と大男がごそごそと動く音だけが聞こえていた。頭の辺りがむずむずしたので、どうやらさっき外した頭蓋骨を取り付けているらしいとわかった。
「これでよし、すっかり元通りだ」
「まだ何も見えないんですが」
「慣れるまでいくらか時間がかかる。家に着く頃にはまた見えてくるよ。さて、実験は全て完了だ。家まで送ってあげよう。君はどこに住んでいるんだね」
「あ、三丁目十五番地の『メゾン夜明け前』です」
「そのひどい名前には覚えがあるな……、あぁ、なんだこの裏じゃないか」
「博士、言ってしまってよろしいのですか」
「いやいやいかんぞ。まずいことを聞かれた。面倒だが仕方ない、また引越しだ」
「その前に教えてください、僕の頭をどうしたんですか」
「さてどうしたんだろうな。ひとつだけ教えてあげると、私は世界的な催眠術師なのだよ」
「え、どういうことですか」
「どういうことだろうな。もうひとつ教えてあげると、ギガンテスくんが目の代わりをするというのは嘘だ」
「ギガンテスくんの目はちゃんと見えていましたよ、今さら何を言うんですか」
「ギガンテスくんの本当の機能はだね、被験者に偽の映像を見せることなのだ」
「そうなんですか? 僕が見たものは偽の映像だったんですか? つまり僕の脳みそはなんともないんですか?」
「さて、どうだろうな。最後にもうひとつ、初めからみっつと言っておくべきだったかな、もうひとつ教えてあげると、私は世界的な大嘘吐きなんだよ」
「待ってくださいよ、何を言ってるんですか、どういうことなんですか」
「ははは。現実なんてあやふやなものだよ。さあ、やってしまえ」
「待ってください、待ってください、つまり僕の身には何が……」
「失礼します」
 そこで頭に衝撃が走り、僕の意識は途切れた。

                     ○

 気がつくと僕は、『メゾン夜明け前』の駐車場で倒れていた。すぐに頭を触ってみたが、継ぎ目のようなものは一切なかった。僕は首をかしげながら、アパートの階段をのぼり自分の部屋に戻った。
 僕の身に何が起きたのかは、結局わからずじまいになってしまった。僕は自分の頭が開けられて、脳みそがぐちゃぐちゃになるところをたしかに見たが、しかし博士が最後にわけのわからないことを色々と言いだしたせいで、どれが真実なのか僕にはよくわからない。
 後日、一度だけ裏の廃倉庫に忍び込んでみた。中の様子はあの日に見た通りだったが、博士も大男もギガンテスくんも、その痕跡すらも一切見あたらなかった。だんだん時間が経ってくると、あの出来事が本当にあったことなのかも疑わしくなってきた。夢でも見ていたのではないかという気もする。考えてもわかりそうにないので、僕はもう気にしないことに決めた。
 変化といえばひとつだけ。時々自分の頭からいやに甘い匂いが流れてくるようになったくらいだ。ただそれも、気のせいかもしれない。僕にはよくわからない。今現在、僕の頭蓋骨の中に何が入っているのか判然としないが、特に問題もなさそうなので、僕はイチゴジャムでいいかと思っている。
 ちなみに、百万円が振り込まれる気配は未だにない。

 おしまい

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作者紹介

空疎

あなたはただのゼリーです
見える光は全部嘘
聞える音は全部嘘
あなたはただの
ふるえるゼリー
ひとりふるえる
ただのゼリー

中編小説「ゼリーの見た夢」より


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六井 象/I

 失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。
 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。


短編小説「鋏」より

個人サイト

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小石薫

美代子は必死だ。一生懸命に声を張り上げて、誰かが、聞いて、興味を持って、自分のいる教室のドアを開けてくれることを、ずっと待っている。
 伝えたいことがあると言った。
 私には、あるだろうか。伝えたいもの。伝えたい気持ち。私の中にあるのは、ぬるく、濡れそぼった、この、寂しさだけ。

短編小説「夕焼け校舎」より


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金魚風船


「私の事、好き?」


「え?」


「ごめん、いきなり」


「ごっつ好きやで」


「ほんとに?」


「当たり前やろ、俺のたった一人の娘なんやから」


「そっか」


間。



「やっぱ、別のことしよっか」


「え? なんで? 凄い楽しいのに」


「じゃあ、もっと楽しそうにやれよ。そんな下ばっかり見とったらな、楽しい事も嬉しいことも、いつの間にか全部通り過ぎてしまうぞ」

短編脚本「お父さん」より

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