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文芸サークル「鉄人四迷」のページ

文芸サークル「鉄人四迷」のページです。 オリジナルの小説・詩・脚本を発表しています。

「海の上の家」(空疎)

(1)
 新しい部屋に越してきた。

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(1)
 新しい部屋に越してきた。
 扉を開けて、靴を脱ぎ、部屋の中に足を踏み入れると、知らない部屋の匂いがした。車の走る音に混じって、微かに波の音が聞こえていた。私はまだからっぽの部屋を横切り、カーテンを開けて窓をのぞいた。三階にあるこの部屋の窓からは、高速道路の向こうに海が見えた。海は太陽の光を受けて、金色に輝いていた。海に一艘の小船が浮かんでいるのが見えた。
 私は窓辺に座って、輝く海を眺めた。海の見える部屋に住むのは、初めてのことだった。海を眺めるうちに、引越しの業者が来て、段ボールを置いていった。私はその様子を窓辺からぼんやりと見ていた。
 やがて日が暮れて、夜が訪れた。いつの間にか海は見えなくなっていた。波音だけが微かに聞こえていた。それでもなんとなく、窓辺を離れがたかった。私はそのままそこで横になって、微かに聞こえてくる波音に耳を澄ましながら、眠った。

(2)
 波の音に目を覚ました。
 体を起こして窓をのぞくと、もう太陽は高く昇っているようだった。高速道路の向こうに見える海は、金色に輝いていた。その様は私の目にとても美しく映った。
 部屋の中には、まだ開けていない段ボールが積まれたままになっていた。しかし荷を解こうという気にはなれなかった。私は水を一口飲んでから、また窓辺に座り込んで、海を眺めた。
 しばらくの間、微かに聞こえてくる波音に耳を澄ましながら、海をじっと眺めていた。すると次第に、もっと海の近くへ行ってみたくなった。私は片付かない部屋を思い、僅かに逡巡したが、窓辺を離れて玄関に向かった。そして裸足の足をサンダルに入れ、私は扉を開けて外へ出た。
 まだこの辺りの道がわからなかったので、とりあえず海の見えた方へと足を進めた。民家の間を抜けていくと、少し下り坂になった路地を見つけた。路地の先からは微かに車の走る音が聞こえていた。見つけた路地を下っていくと、不意にコンクリートの階段と高速道路が姿を見せた。階段は高速道路の下へと続いていた。私は海が高速道路の向こうに見えていたことを思い出した。私は階段を降りてみることにした。
 高速道路を横目に見ながら、階段を一番下まで降りると、そこには仄暗いトンネルがあった。トンネルの向こうからは、微かに潮の匂いが流れてきた。波の音が聞こえてきていた。私は濡れた砂を踏んで、トンネルを進んだ。波音が次第に大きくなっていった。
 海だ。トンネルを抜けると、そこには、海と砂浜が私を待っていた。海岸線は遠くどこまでも見渡せたが、私の他に人影は見当たらなかった。すぐ頭上を走っているはずの高速道路から聞こえる音は不思議と遠く、辺りには繰り返す波音だけが響いていた。
 砂浜には色々なものが落ちていた。流木の欠片、からっぽのビール瓶、古ぼけたテニスボール、それに石がたくさん。私は小石をひとつ拾って、海に投げた。小石は波を越えて海に落ちた。
 私はサンダルを履いたまま、波に足を入れた。足に触れる海の水は冷たかった。波は繰り返し私の足を濡らせた。私はそうして、しばらく足を波に遊ばせていた。

 私はふと顔を上げた。すると、そこには一軒の家があった。

 家は波の向こうの海の上に、静かに佇んでいた。家にはこちら側の壁がなく、中の様子が見てとれた。家は平屋で、部屋はひとつしかないようだった。向こう側には窓と扉が見えていた。家の中にはテーブルが一つに椅子が四つ、向こうの壁に沿って棚が二つあった。
 家の中には、三人の子どもがいた。三人の子どもは椅子には座らず、床の上に集まって、頭を寄せ合い互いに何か話し合っていた。子ども達の話す声は、私の耳によく聞こえた。私は波打ち際に立ったまま、子ども達の話す声に耳を澄ませた。

――ねえ、神様っていると思う?
――いるよ、僕は会ってきたもの
――どこに行けば神様に会えるの?
――神様は、天国にいるよ
――天国へはどうやって行くの?
――歩いてはいけないんだ
――じゃあどうやって?
――エレベーター?
――そう、エレベーターに乗っていくんだ
――エレベーターか
――私も神様に会ってみたいな
――僕も会ってみたい
――急に行っても会えないんだよ、神様は忙しいから
――どうすればいいの?
――手紙を書くんだよ
――手紙?
――何を書けばいいの?
――僕を天国に入れてください、ってさ
――僕、手紙を書くよ
――私も書く
 
 そして三人の子どもは、棚から紙と鉛筆を取り出して、神様にあてた手紙を書き始めた。子ども達は黙り込んで、熱心に手紙を書いていた。

――書けた
――私も書けた
――早く、天国に行ってみたいな
――私達の手紙、神様に届くかなあ
――大丈夫、きっと届くよ

 不意に強く風が吹いた。私は思わず目を閉じた。次に目を開いた時、海の上の家は姿を消していた。波に揺れる一艘の小船が遠くに見えた。
 私は濡れたサンダルで、部屋に帰った。

(3)
 部屋の中にはまだ段ボールが積み上げられていた。しかし私は段ボールには手をつけず、窓からぼんやりと海を眺めていた。太陽は高く、海は今日も金色に輝いていた。海は今日も美しかった。私は窓辺を離れ、裸足の足をサンダルに入れて、また海へと出かけた。
 浜辺には今日も人影がなかった。波音だけが響いていた。私はまた足を波に遊ばせた。すると、海の上に家が現れた。
 家の中の様子に変わりはなかった。ただ今日は三人の子どもの代わりに、ひとりの老婆が椅子に座っていた。テーブルの上には、急須と湯飲みがあった。

――私にもね、若い頃があったんだよ

 老婆は言った。

――いいことも悪いことも、それは色々あったね。長く生きているとね。いいことばっかりじゃなかったよ。でも悪いことばっかりでもなかった。それは本当に、色々あったよ
 
 老婆は懐かしむように、どこか遠くへ目をやった。そして不意に立ち上がり、棚から何かを取り出した。老婆は取り出した何かを手に、椅子に戻った。老婆が手にしていたのは、一冊のアルバムだった。老婆は一冊のアルバムをテーブルの上に開いた。

――写真はいいね。忘れてしまったことを、思い出させてくれるよ。私は色んなところに行ったし、色んな人に会った。そう、この人は本当にいい人だった。私は今も感謝しているよ。いくら感謝しても、し足りないくらいだ
 
 老婆はお茶を一口飲んだ。

――あれは、日曜日の朝のことだったかね。私はまだほんのお嬢さんでね。私だって、お嬢さんだったことがあるんだよ。昔はね。そう、昔はね
 
 老婆はアルバムをじっと見つめていた。

――私は困っていた。どうしたらいいかわからなくってね。誰に相談したらいいかもわからなかった。私は困り果てていた。そこに、あの人は来たんだよ
 
 老婆はアルバムから一枚の写真を取り出し、目を細めてその写真を眺めた。

――本当に助かったよ、あの時は。嬉しかった。とても嬉しかった。あの時、あの人に出会わなかったら、私は今頃どうなっていたか。今こうして、お茶なんか飲んでいられなかったかもしれないよ。今の私があるのも、あの人のおかげだね
 
 老婆はまた湯飲みを手にした。しかし湯飲みは空になっていたようだった。老婆は急須から湯飲みにお茶を注いだ。

――また、会いたいものだけどね。もうあの人は生きちゃいないだろうね。私がこんな歳になってしまったのだもの。ちゃんとお礼を言いたいよ、今からでも。言いたいことは、言ってしまわないといけないね。その時、その時にね。あぁ嫌だよ
 
 老婆はお茶を一口飲んだ。

――なんで私は、あの人についていかなかったんだろう

 老婆は手にしていた写真をアルバムに戻して、ページをめくった。

――何か足りなかったんだろうね。あの時の私にはね。言いたいことは、言ってしまわないといけないね。あの時、あの人についていけば、もっと違った、そう、今とはもっと違った……
 
 そして老婆はアルバムを閉じた。老婆は閉じたアルバムの上に、そっと手を置いた。

――もし、呼んでさえくれたら。いや、そんなことを思っても詮ないね。私だよ。私が行かなくてはいけなかったんだよ。私が言わなくてはいけなかったんだ。私がいけなかったんだ。何が足りなかったんだろうね。今でもわからないよ。この歳になってもね。ずっと考えていたんだけどね。何が足りなかったんだろうね。何かが足りなかったんだろうね。そう、何かが、ね
 
 老婆はお茶を一口飲んだ。そしてため息をついた。

――この歳になって、後悔なんてね

 そして風が吹いて、海の上の家は消えた。私は濡れたサンダルで、部屋に帰った。

(4)
 部屋の中には、相変わらず段ボールが積みあがっていた。私は片付けようともせずに、窓からぼんやりと海を眺めていた。太陽は高く、海は今日も金色に輝いていた。
 海風が窓から吹き込んできて、私の髪を揺らせた。風が潮の匂いを運んできた。私は裸足の足をサンダルに入れて、海に出かけた。
 浜辺には今日も人影がなかった。波音だけが響いていた。私はまた足を波に遊ばせた。すると、海の上に家が現れた。
 家の中には、ひとりの少女がいた。少女は白いワンピースを着て、家の縁に座り、裸足の足を海に浸していた。少女はポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつけた。そしてマッチを海に投げ捨て、タバコを口に咥え、煙を吸い、吐き出した。少女は口を開いた。

――雲の流れる先に光がないというのなら、どこを探せば光は見つかるのでしょうか。風の吹く先に光がないというのなら、光は一体どこにあるのでしょうか
 
 少女はタバコを口に咥え、煙を吸い、吐き出した。

――私は知っています。私は光の在り処を知っています。雲の向こう側の、風の向こう側の、どこでもないどこかで、光は待っているのです。私を待っているのです

 少女は指先でとんとタバコを叩いて、灰を海に落とした。

――私の魂は、光を求めています。光と私の魂は、互いに呼び合っています。どこでもないどこかで、光と私の魂は、出会うことを求めています
 
 少女はタバコを口に咥え、煙を吸い、吐き出した。

――だから私は、詩をうたいます。あらんかぎりの思いを込めて、ひとつの詩をうたいます。魂を詩に変えるのです。そうして出来上がった詩を、私はそっと空へ放します。誰にも見られないように、誰にも知られないように、そっと空へ放します
 
 少女は目を閉じた。

――私の手を離れた詩は、緩やかに飛んでいきます。光と出会うために飛んでいきます。どこでもないどこかを目指して飛んでいくのです
 
 少女は目を閉じたまま、タバコを口に咥え、煙を吸い、吐き出した。

――そして私の思いを込めた詩は、雲の向こう側の、風の向こう側の、どこでもないどこかで、そこで光と出会うのです
 
 少女はゆっくりと目を開いた。

――光と出会った私の詩は、きっと輝き始めるでしょう。雲も風も辿り着けない、どこでもないどこかで、呼び合う光と私の詩は、ひとつになって、やがて星となるのです。夜空に輝く無数の星々も、全てかつては詩でありました。光と出会えた詩の群れが、夜空に輝く星となるのです。そして私の詩もやがて、そんな星のひとつとなるのです。あぁ
 
 少女は吸い終わったタバコを海に投げ捨て、次のタバコに火をつけた。

――私の魂は、光を求めています。だから私は詩をうたいます。私の魂は、詩へと形を変えて、いつか光と出会います。雲も辿り着けないどこかに、風も辿り着けないどこかに、どこでもないどこかに、詩だけが辿り着けるのです。そして出会った詩と光は、ひとつになって、夜空に輝く星のひとつとなるのです。私の魂が星となるのです。私が、星となるのです。その時初めて、私はこの世に生を受けるのです。本当の呼吸を始めるのです

 少女はタバコを口に咥えて、煙を吸い、吐き出した。

――光よ。光よ。私の詩を待っていて。この私を待っていて。私はそこへ辿り着くから。きっとそこへ辿り着くから。私は星に姿を変えて、きっと世界を照らすから
 
 少女はタバコを海に投げ捨てた。そして少女は立ち上がり、一度深く呼吸をしてから、海に身を投げた。さぶん、と波音が響いた。
 ふっと風が吹いて、海の上の家は消えた。辺りには、いつの間にか夜が訪れていた。私は波打ち際に立ったまま、空を見上げた。空には数限りない星々が輝いていた。
 そして私は濡れたサンダルで、部屋に帰った。

(5)
 窓からは海が見えた。太陽は高く、海は今日も金色に輝いていた。
 部屋はまだ、片付いていない。


おわり

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作者紹介

空疎

あなたはただのゼリーです
見える光は全部嘘
聞える音は全部嘘
あなたはただの
ふるえるゼリー
ひとりふるえる
ただのゼリー

中編小説「ゼリーの見た夢」より


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六井 象/I

 失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。
 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。


短編小説「鋏」より

個人サイト

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小石薫

美代子は必死だ。一生懸命に声を張り上げて、誰かが、聞いて、興味を持って、自分のいる教室のドアを開けてくれることを、ずっと待っている。
 伝えたいことがあると言った。
 私には、あるだろうか。伝えたいもの。伝えたい気持ち。私の中にあるのは、ぬるく、濡れそぼった、この、寂しさだけ。

短編小説「夕焼け校舎」より


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金魚風船


「私の事、好き?」


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「ごめん、いきなり」


「ごっつ好きやで」


「ほんとに?」


「当たり前やろ、俺のたった一人の娘なんやから」


「そっか」


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「やっぱ、別のことしよっか」


「え? なんで? 凄い楽しいのに」


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