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文芸サークル「鉄人四迷」のページ

文芸サークル「鉄人四迷」のページです。 オリジナルの小説・詩・脚本を発表しています。

「Still on the way」(小石薫)

テーマ:壊れた椅子




 身をよじるだけで軋む椅子に、何重もの麻縄によって縛られ、エルデンは長い時間を過ごした。暗い部屋のなかで。目の前の、かすかに開いたドアからもれてくる光と音が、世界の全てだった。

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 身をよじるだけで軋む椅子に、何重もの麻縄によって縛られ、エルデンは長い時間を過ごした。暗い部屋のなかで。目の前の、かすかに開いたドアからもれてくる光と音が、世界の全てだった。
 エルデンを壊れた椅子にくくりつけたのは、彼女の両親だった。どうして彼らが自分にこんな仕打ちをしたのか、エルデンにはもう思い出せない。どころかエルデンは、自分の両親の顔さえ覚えていなかった。彼女が椅子の上で過ごすようになってから、あまりに長い時間が流れていた。
 エルデンの心を慰めたのは、ドアの隙間から聞こえてくる鳥の声や、風の音だった。時折、光が赤く染まることもあった。それから、悲鳴や怒鳴り声が聞こえることも。それらのものに触れるにつけて、エルデンの身体は次第に麻縄に馴染んでいった。心もかすかな外界の気配に満たされ、いつしか、エルデンはこの部屋を出ようとは考えなくなっていた。軋む椅子と麻縄、そして暗く湿った空気。エルデンにとって心地よい空間はそれだった。
 だから、部屋に白い鳥が入ってきた時、エルデンは肝をつぶした。自分以外の生き物に会うのは久しぶりだった。まだ縛り付けられることなく自由に外を歩いていた頃の記憶は遠く、まばゆい光の中で淡くかすんでいた。最初エルデンは、部屋に入ってきたものが何か解らなかった。エルデンと目が合い、鳥はひと声、カァと鳴いた。それで、エルデンはこの鳥がカラスだと思い出した。白いカラスだ。カラスは羽を広げ、エルデンのひざの前まで飛んだ。くちばしが、ちょうどエルデンのひざの高さにある。エルデンが小さいのかカラスが大きいのか、エルデンにはわからなかった。カラスはみんなコレくらいの大きさだったかも知れないと、エルデンはぼんやり思った。
カラスはくちばしを麻縄に伸ばした。エルデンは、直ぐにカラスが何をしようとしているのか気が付いた。
――縄をちぎろうとしている!
 エルデンは身をよじって、カラスを追い払おうとした。くちばしと麻縄が離れる。カラスはすぐにまたくちばしで麻縄をとらえなおす。それでエルデンは、いっそう激しく身をよじる。
――せっかく慣れたのに!
 椅子が軋む。麻縄が鳴り、カラスが羽ばたき、エルデンがうなる。そしてとうとう、椅子の足が折れた。
 音を立てて、エルデンは椅子ごと床に崩れ落ちた。その拍子に麻縄が切れた。カラスは倒れたエルデンを見下ろして、カァと鳴いた。かと思うと、野太い男の声になった。
「オマエは立たなければならなくなった。歩き続けなければならなくなった。部屋を出る時が来たのだ」
 そして、カラスはドアを開け放って出て行った。開かれたドアからは風が吹き込み、草木の匂いが部屋に満ちていった。エルデンは、ただ呆然として、横たわっていた。
 痩せっぽちのエルデンの足は弱かった。どうにか立ち上がっても、数歩歩くだけで直ぐに疲れた。その疲れが癒えるためには、相変わらずの湿った床に座りこみ、歩いたのよりずっと多くの間休んでいなければならなかった。壁伝いに部屋を一周するのに、7日もかかった。
 やがて、外から入り込む空気が冴え始め、白い雪が、部屋のなかにも積もるようになった。
――冬だ。冬が来たんだ。
ドアが開け放たれているせいで、前まではドアの手前までだった雪の降る範囲が、部屋全体に広がっていた。エルデンは雪の上で歩き、座り込み、震えながら眠った。ほどなくして、身体中がかじかんで感覚を失った。
 空気のなかに、温かみが混じり始めた。春が来たのだ。外からは、花の香りが漂ってくるようになった。エルデンの身体もとけ、失った感覚が戻ってきた。起き上がり、再び動くようになった身体を抱いて、エルデンは少し泣いた。
 そしてまた、草木の匂いに部屋が満たされる季節が訪れる。エルデンは、この巡りを、部屋のなかで3度繰り返した。
 4度目の春。エルデンはドアの前に立っていた。部屋のなかを歩きまわるうちに、エルデンの足は以前と比べれば随分強くなっていた。部屋を壁伝いに一周するのも、半日あれば済むほどになっていた。
――わたしはまだ歩いていない。
 いつかカラスが言ったことを思い出す。外の世界を、歩かなければいけないと思った。部屋を出る季節として春を決めたエルデンは、前の冬が訪れた頃から、この時を待っていた。けれど、いざその時が来ると、エルデンの心は波打った。苛立ちが、絶え間なく押し寄せてくる。
――歩けば、いいんでしょう? 歩けば!
 胸の中で悪態をつく。エルデンは、乱暴な足取りで外へ飛び出した。


 外は、あまりに明るかった。エルデンはしばらく目を閉じて、少し慣れた頃にやっと半分だけ開けた。眉間にしわが寄って戻らない。エルデンの目は、空から降り注ぐ日の光に、なかなか慣れようとしなかった。
 眉間にしわが寄ったまま、エルデンは目の前の道を歩き始めた。
 道の途中で、男の子が泣いているのが見えた。エルデンよりも、1つか2つ、年下なようだった。部屋を出てからこの方、いらいらしっ放しだったエルデンには、この男の子が苦々しくてたまらなかった。それでも、他に進む道もないので、エルデンは男の子のそばまでやってきてしまった。近くに来ると、なおさら泣き声が気に障る。
 男の子は、エルデンを見つけると、一度泣くのをやめて、彼女から視線をそらした。エルデンには、それがまた気にくわなかった。人前では泣きたくないのか、あるいは何か声をかけて欲しくてわざとそっぽを向いたのか、エルデンは色々と考えた。結局最後には男の子が憎らしくなって、彼の耳に顔を近づけて大声を出した。
「泣き虫め! どっかいっちまえ!」
 男の子は飛び上がって驚き、それから火がついたように泣き叫んだ。エルデンはエルデンで、少しも気持ちが晴れないどころかますます不愉快な気持ちになって、男の子を見捨てて歩き出した。
 道を歩いていると、やがて夏が過ぎ冬が来て、また春になった。
ある時道の途中で、大きな太った男が、不釣合いなほど小さなハンマーを振り回しているのが見えてきた。ハンマーは、いっそエルデンが持った方が似合いそうな大きさだ。太った男は何か解らない歌を歌いながら、以前は小屋だったらしい建物をひたすら打ちのめしていた。怖くなったエルデンは、太った男に気づかれないように、こっそり通り抜けた。幸運にも、小屋だった建物を打つのに忙しい太った男は、エルデンに気づかなかった。
 歩くうちにまた季節が巡り春になった。
さらに道を行くと、エルデンは、黒と赤の鮮やかなパラソルをさした美しい女性に出会った。女性の隣には、大きいのから小さいのまで、たくさんの木片が積み重ねられて山になっていた。美しい女性は、エルデンに気が付くとニコリと笑った。
「あぁ、そこのいやしい子。私は黒バラの国の王女様よ。この木片を好きなだけやるから、持って行くと良いわ」
 エルデンは、この黒バラの国の王女の態度に腹が立った。今のエルデンには、木片はゴミにしか見えない。そんなゴミをたくさん持っているからといって、なんなのだろう。腹が立つあまり、エルデンの顔は赤くなった。
「黒バラの国がどんな国かなんて知らないけど、こんなゴミを山にして、誰かに押し付けようなんてとんでもない王女様ね! きっとその黒バラの国には、ゴミばかり集めている、変わり者で気狂いで、えばり腐りの勘違いしかいないんでしょうよ!」
 そう言うと、エルデンは黒バラの国の王女からパラソルを奪い、地面に打ち付けて叩き折ってしまった。真っ青になった黒バラの国の王女をそのままにして、また道を歩き出した。
 今度は、どれだけ季節が巡っても誰にも会わなかった。冬になり、エルデンの感覚は失われた。けれども、部屋の中にいた頃のように、座り込む気にはならなかった。部屋の中よりもずっと深く雪が積もっていたし、腰を下ろすことが出来る椅子がなければ、休むことが出来ないとエルデンは思うようになっていた。
 疲れが限界に近づいた頃、鼻の先をくすぐるものがあった。
――なんだろう。
エルデンは、当りを見回してみる。気が付くと、エルデンは並木道を歩いていた。鼻の先をくすぐったのは、この並木がつけた花の香りらしかった。花は、桜。桃色の花びらが日の光を浴びながら揺れていた。エルデンは、口をぽかんと開けて、ただその光景に見入った。ようやく目が慣れ始め、桜の木々を見上げてもまぶしくなかった。眉間に寄ったしわが消えていく。少し目線を降ろして道の先を見ると、どこまでも桜並木が続いていた。振り向くと、今まで来た道にも、桜の木が並んでいた。ふいに右手に重みを感じた。見ると、折れたパラソルを握ったままだった。
エルデンは、立ったまま、涙を流した。
――パラソルを、返さないと。
 エルデンは、これまで来た道を引き返すことに決めた。重くなったパラソルを握りしめて、エルデンは歩き始めた。また、春が訪れていた。


 歩き続けて、エルデンは黒バラの国の王女の下まで戻ってきた。黒バラの国の王女は、新しい黒と赤のパラソルをさしていた。隣には、変わらず木片の山があった。黒バラの国の王女に話しかけるために、エルデンは勇気を出すための長い時間が必要だった。
――新しいパラソルがあるのだから、返さなくても良いんじゃないか。
という弱い心の声とも戦わなければならなかった。
季節は、春だった。けれど、エルデンにはコレが部屋を出て何度目の春なのか、もうよくわからなかった。
「あの」
思い切って、エルデンは黒バラの国の王女に声をかけた。黒バラの国の王女は振り返りエルデンを見ると、懐かしそうにニコリと笑った。
「あぁ、あなたは」
 覚えていた。そう思うと、エルデンの胸が痛んだ。
――私は、許されていないんだ。
 エルデンは泣きそうになるのをこらえて、折れたパラソルを黒バラの国の王女に差し出した。
「あの、この前は、この前は本当に、ごめんなさい」
 声が震える。黒バラの国の王女は、最初きょとんと目を見開いていたが、やがてプッと笑った。
「そんな昔のことを」
 黒バラの国の王女にパラソルを返しながら、エルデンは、胸に風が吹き込んだような気がした。
「それより、ねぇ、あなた。この木片を持っていかない? 役に立つこともきっとあるわ」
 エルデンは頷いた。それから、ひとつかふたつ持っていくことにした。ところが、黒バラの国の王女が、アレもコレもと大きな皮袋に詰めてエルデンに差し出したので、結局エルデンはたくさんの木片が入った皮袋を手にして、黒バラの国の王女の下を去ることになった。去り際、エルデンは黒バラの国の王女にお礼を言って、道を引き返し続けた。
 謝らなければならない相手が、もう一人いた。
 途中、大きな太った男に出会った。男は、道に座り込んで休んでいた。小屋だったらしい建物は、今はもうガレキになって、見る影もなかった。また見つからないように通り抜けようとしたエルデンに太った男が気が付いて声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、なに持ってるの?」
「木の欠片です」
 エルデンはわざと急いでる風に答えた。早く太った男の前を通り過ぎたい。
「ふぅん。じゃあ、これが必要なんじゃないの?」
 エルデンの気を知らずに、太った男はゆっくりと布袋を取り出した。それから、エルデンに手招きをする。エルデンは、恐る恐る近づいていく。太った男は、そばに来たエルデンに布袋を渡した。
「なんですか?」
「クギ。と、ハンマー」
 何の役に立つのかエルデンには解らなかったが、太った男が親切心から自分にくれるのだということは解った。太った男を一方的に怖がっていたことが申し訳ないのと自分が恥ずかしいのとで、エルデンの顔は赤くなった。
「あ、ありがとうございます」
 太った男は、白い歯をむき出しにした。エルデンはぎょっとして、それが太った男の笑顔だと解るのに少し時間がかかった。少し時間がかかったが、エルデンはなんとか笑い返した。
 さらに道を行く。最初に出会った男の子の所まで、エルデンは帰ってきた。男の子は、もう泣き止んでいた。道に座り込んで、ただじっと遠くを見つめていた。エルデンは、そっと男の子の隣にたった。男の子が、顔をあげる。
「何を持ってるの?」
「木の欠片と、クギと、ハンマー」
エルデンは、笑顔を作って答える。すると、男の子の顔が明るくなった。
「じゃあ、それ、ちょうだい!」
 差し出された手に、エルデンは戸惑ったが、昔男の子にしたことの負い目があって、結局自分が持ってきたものを全て渡してしまった。
「ありがとう!」
 花が咲いたような笑顔だった。男の子は皮袋から木片を取り出し、布袋からクギとハンマーを取り出す。それから、木片を組み合わせてクギで打ち付け、あっという間に椅子を作ってしまった。
「座って待っててよ」
 活き活きとした男の子の声に、エルデンは自分が疲れていたことを思い出した。考えるより前に、椅子に腰掛けていた。目を閉じる。心が、安らぐ。エルデンは、大きく息を吐いた。胸が軽くなっていくのを感じる。
「できた!」
 男の子の声に目を開けると、彼はもうひとつ椅子を作り上げていた。男の子は椅子をエルデンの隣に置き、その椅子には自分が座った。男のは得意そうに、笑う。
――あれ? いつの間にこんなことになったんだろう。
そう思いながら、エルデンは、胸のずっと奥の部分から、身体中が暖かくなっていくのを感じた。
ふたりは、それから隣り合って長い時間を過ごした。春が過ぎ、夏が来て、冬になると身を寄せ合って寒さをしのいだ。エルデンは、この時初めて感覚を持ったまま冬を過ごした。雪をきれいだと思えたのも、この時が初めだった。
いくつも季節が過ぎ、ふたりの椅子は傷み始めていた。更に時が流れ、とうとう椅子の足が折れた。その頃には、男の子はもう男の子ではなくなっていた。エルデンも同じだった。ふたりは、同じ時間を重ねて、確実に大きくなっていた。
「どうしようか」
 彼が、不安そうにつぶやく。エルデンは、彼を改めて愛おしく思った。彼は、エルデンの見てきた世界をまだ知らないのだ。椅子を作る材料は、見つけることができるのだということも。
「大丈夫だよ。なんとかなる」
 エルデンが明るく言い放つ。彼はエルデンの瞳を見つめて、嬉しそうに頷いた。
 彼が、手を差し出す。エルデンは、その手を取る。初めてのことでも、ふたりには自然なことだった。
 そしてふたりは歩き出す。エルデンの新しい旅は、暖かな光の中から始まった。

おわり

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空疎

あなたはただのゼリーです
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あなたはただの
ふるえるゼリー
ひとりふるえる
ただのゼリー

中編小説「ゼリーの見た夢」より


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六井 象/I

 失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。
 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。


短編小説「鋏」より

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小石薫

美代子は必死だ。一生懸命に声を張り上げて、誰かが、聞いて、興味を持って、自分のいる教室のドアを開けてくれることを、ずっと待っている。
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 私には、あるだろうか。伝えたいもの。伝えたい気持ち。私の中にあるのは、ぬるく、濡れそぼった、この、寂しさだけ。

短編小説「夕焼け校舎」より


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「やっぱ、別のことしよっか」


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