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文芸サークル「鉄人四迷」のページ

文芸サークル「鉄人四迷」のページです。 オリジナルの小説・詩・脚本を発表しています。

「習作 山の上の船」(小石薫)

テーマ:石の船



 君は、お湯を両手ですくって持ち上げた。お湯は指と指、手と手の隙間からこぼれ落ち、音を立てて元の浴槽に戻る。
「温泉なんて、久しぶりかも」
 秋口の風が、君の赤らんだ頬をなでていく。その心地よさに、君は思わず微笑む。

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 君は、お湯を両手ですくって持ち上げた。お湯は指と指、手と手の隙間からこぼれ落ち、音を立てて元の浴槽に戻る。
「温泉なんて、久しぶりかも」
 秋口の風が、君の赤らんだ頬をなでていく。その心地よさに、君は思わず微笑む。
 周りを見渡すと、10人までなら同時に入れそうな大きさの浴槽が2つ並んでいる。向かって右手がヒノキで、左手が岩風呂だ。両方とも、東屋のような屋根がついている。ヒノキと岩風呂を挟んだ向こうには浴場へ続くドアが見える。
 浴場の方から露天風呂を見ると、なにより目を引くのは、正面奥に見える3隻の船だ。ヒノキと岩風呂に挟まれた奥に、小さな石造りの舳先が3つ並んでいる。山の上の温泉に来て、まさか船を見ることになろうとは、誰も思わないだろう。まして石造りだ。おまけに、船の中からはお湯が流れ出ている。源泉掛け流しの湯船だ。船ひとつの大きさは、君がひとり入ると7割方埋まってしまう程度で、ごく可愛らしいものだ。小学生くらいの女の子なら、辛うじてふたり一緒に入れるかも知れない。
 君はその真ん中の船につかって、お湯をすくっては落とし、すくっては落とししていた。
「この船、海に持っていったら浮かぶかな」
 君は、今度はしっかり両手を重ねてすくい上げたお湯を眺めた。高く昇った陽の光を受けて輝いている。
 君はそれを海に見立てた。手の平の海に、石の船を浮かべてみる。君は白いシャツを着てオールを持ち、へりに片足を乗せて勇ましく水平線を見つめている。君は、この船の船長だ。
「よぅし。船を浮かべろ」
 船が海に浮かんだと思った次の瞬間、みるみる水面が高くなり、へりを乗り越えて水が入り込んできた。水をかき出す間もなく、幻想のなかでさえ船はあっという間に沈んでしまった。
 ため息をついて、君は両手のお湯を浴槽に戻した。それから、お湯で満たされた石の船から脱出した。
「ちょっと、のぼせちゃった」
 覚束ない足取りで、君は石の通路を歩いて更衣室を目指した。
 入口の暖簾をくぐって浴場を出ると、正面の壁に月めくりのカレンダーが貼られているのが目にとまった。中央の高い位置に書かれた月の背景にイラストが書かれている。今は9月で、柔らかなタッチで書かれたリスたちが、どんぐりを抱えて走り回っているイラストだった。日付の方を見ると、油性ペンか何かで、偶数日が青く、奇数日が赤く塗られている。
「明日は、こっちが男湯になるのか」
 君は受付で言われたことを思い出した。日毎に、男湯と女湯が入れ替わるということだった。受付の説明によれば、今男湯になっている方には石の船はないそうだ。
「面白いものが見れてラッキー、かな」
 牛乳瓶の自動販売機を求めて廊下を歩いているうち、君は外の様子が気になりだした。窓から秋の高い空が見える。白い雲の破片をいくつか浮かべて、君を誘っている。
「ちょっと、歩こうかな」
 君は牛乳を買うのは止めて、玄関の方へ歩き出した。
 でも、どこまで?
「たしか、来る時近くに川が見えたはず。とりあえず、そこまで」

 広い駐車場を横切り、林へ向かう道を歩いていく。風が、のどかに吹いている。
「あぁ。風が気持ちいい」
 牛乳も飲んでおけばよかったのに。
「良いんだよ。牛乳飲んでたら、気持ちいい風を、気持ちよく思えなかったと思う」
 そうなの?
「うん。牛乳を飲んで、気持ちいい風も浴びてじゃ、なんていうか、満たされすぎるよ」
 考えすぎじゃないかな。
「そうかも。でもどうしてもね。今だって、雲がひとつもない青空だったら、外に出ようとは思わなかったもん」
 バランス感覚。
「うん。でも、たぶん、この天秤はアテにならない」
 確信もなく歩いた割には、順調に川辺にたどり着いた。君がいるほうを内側にして、弓なりに曲がっている。来る時に見たのは、もう少し下った所だろう。
「ちょっと遊ぼうかな」
 君は、足元の小石を拾い上げた。つるつるした、丸い石だ。
「よっ」
 拾った石を、川に横投げに投げた。石は音を立てて川に沈んだ。
「あれぇ?」
 何してるの?
「水切り。石投げて、水の上跳ねてく奴」
 平らな石の方が良いよ。
「そうだったっけ」
 君は、足元にいくつも転がる石の上に屈み込んで、石を吟味し始めた。拾っては捨て、拾っては捨てして、良く跳ねそうな、平らな石を探した。
「前はさ、結構やってたんだけどな」
 前って、いつごろ?
「小学生の時」
 ずいぶん前だね。
「そ、ずいぶん、ね」
 すみません。
「いいえ」
 君は手ごろそうな石をひとつ掴んで立ち上がった。
「そういえば、その遠い昔、これは、って石を見つけたことがあったんだ。スゥって、手に馴染む感じだった。すごく良い形! って、持った途端に思った」
 君は、今拾った石を手の中で転がしている。
「その石、どうしたと思う?」
 大事に、持って帰った?
「はずれ。私ね――」
 君は、転がしていた石を川へ放り投げた。
「投げちゃった。何も考えずに」
 石は一度も跳ねることなく、音を立てて川へ沈んだ。
「音がしてから、あ、って思った。後悔した」
 すごく。
「ものすごく、ね。でも、悲しかったのは、石を投げちゃった事じゃない。本当に悲しかったのは、投げた石が、もう他の石と区別が着かなくなっちゃったこと。落ちた辺りを、探したんだけどね、ぜんぜん深い川じゃなかったから。でもダメだった」
 それは、悲しいね。
「うん。実を言えばね、これかも知れないって石はあったの。でも、どんな風に持ってみても、投げる前の感じとは違ってた」
 君は、さっき投げた石が沈んだ場所を、まるでそこに今とその時の石がふたつ並んで沈んでるみたいに、じっと見つめている。
「あの時から、段々、体も心も重くなってきたような気がする」
 君は、川に背中を向けて宿へ歩き始めた。

「遅いお昼ごはんです」
 君は温泉宿の食堂で、山菜ソバに手を合わせた。
「山菜うどんがあれば良かったのに」
 ここの食堂のメニューには、うどんがない。
「昔は、サンサイって、白菜やキュウリと一緒くたで、ただの野菜だったな」
 君は備え付けの七味唐辛子を一振りする。
「今は、ここが山の中だから山菜が出てくるんだなって考えちゃう」
 それって、おかしなこと?
「全然。まったく普通。でも、現実がね、先に立っちゃうって言うか、魔法みたいに、山菜でございって、出てくるわけじゃないんだなぁって」
 それは、そうだろうね。
「それはそう。あったりまえのことだと思うよ。ただね、夢、違う、幻想がないってだけの話。昔は、石の船を海に浮かべることなんて簡単にできた」
 君は山菜と一緒に、ソバをすすり始めた。
「生きて来ると、段々体も心も重くなって、幻想が入り込む余地がなくなっていく。それって、考えるのが馬鹿らしいくらい当たり前のことだと思うけど、でも寂しい」
 無理に幻想を持ち続けることはできないものね。
「やろうと思えばできるよ。現実を感じず、目の前のものを見なければね。現に、そういう人のための言葉が、ちゃんとあるし」
 やめなよ。
「愚か者」
 君は音を立てないようにつゆを飲んだ。
「それか卑怯者」
 少し落ち着いた方が良い。
「別に。意味なんてないよ」
 程度にもよるけど、生きていくのに幻想は必要じゃない?
「きしまなようにするには、そうかもね」
 体や心を、軽くする方法はあるかな。
「新しい恋でもしたら、軽くなるかも」
 君はレジで会計を済ませ食堂を出た。
「昔から夢見がちだったからね。それを人に押し付けたら、そりゃ迷惑になるよ」
 君は自動販売機でフルーツ牛乳の瓶を買った。
「相手が何を感じているのかも、考えようとしなかった。自分が満たされることばかり、考えて」
 窓の外では、風が強くなり始めていた。駐車場脇の、細い木の枝が揺れている。君はフルーツ牛乳を飲みながら、その様子を眺めていた。
「恋って、癒されるものだとずっと思い込んでた」
 違うの?
「違うよ。癒しって、結局自分中心でしょ? 傷ついていたのが癒されて、元の自分に戻る。そうじゃないんだよ」
 風はいよいよ勢いを増してきた。いつの間にか、空を暗い雲が覆い始めている。
「例えばね。今一緒に外を見て、風が収まると良いね、とか、雨、降るのかなぁ、とか、そういう話をしたい。同じものを見て、違うことを考えて、確かめ合いたい。それで同じことを考えていたら、すごく嬉しい。そのためには、相手に幻想を見ているだけじゃ、ダメだ」
 でも、幻想があるから、好きでいられる。
「好き、か。私は、あいつのこと、本当に好きだったのかな」
 雨粒が窓ガラスに当たり始めて、すぐに大雨になった。遠雷が聞こえる。
 君は、風雨に洗われる木々を見つめ続けていた。

「そうだ。子どもの頃は、この世界に恋してた」
 1時間もしない内に、雨は通り過ぎていった。
「何もかもが、輝いて見えた。それがいつの間にか、自分の中に閉じこもるようになって、自分の中に映る影に、恋をしていた」
 雨と一緒に雲も流れて、空には七色の虹が、巨大なアーチを作っていた。
「例えば、虹が綺麗だねって。素敵だねって。当たり前みたいなことでも、ひとつひとつ一緒に感じてくれて、この世界にまた恋をさせてくれる。そういう人に会いたい」
 会えるかな。
「会えたら、こんな私でもそういう人になれる気がするの」
 会えると良いね。
「結局、自分中心な理由だけどね。どうすれば会えるんだろうね」
 自分から、近づいていかなくちゃ。その人は、その場所にいるよ。
「うん。そうだね」
 石の船で、漕ぎ出して。
「この世界の、素敵なものをたくさん集めて」
 いつか、その人と分け合おう。
「これこそ、まさに幻想だけどね」
 そうだよ。そうだ。君には、幻想を持つ才能があるんだ。
「それって、ほめてる?」
 うん。どんなものでも、使い方次第だよ。
「そうだね。ありがとう」
 君は、そっと目を拭った。
「なんだか、前より優しくなれそうな気がする」
 君は、貴重品入れのコインロッカーに向かった。鍵を開け、スクーターの鍵を取り出す。
「さぁ、帰ろう」

 君は駐車場に停めてあった、ダークレッドのスクーターにまたがった。鍵を回し、エンジンを掛ける。そしてスクーターと走りだした。景色が、絵巻物を巻くように後ろへ流れていく。石の船は、少し軽くなったんだね。山の上の温泉まで逃げて来て、そこで見たもの、考えたものも、きっといつか、またこの世界に恋をするための宝物になるよ。
「ねぇ。何度でも言うよ。ありがとう、ミスタートラベル」

おわり

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作者紹介

空疎

あなたはただのゼリーです
見える光は全部嘘
聞える音は全部嘘
あなたはただの
ふるえるゼリー
ひとりふるえる
ただのゼリー

中編小説「ゼリーの見た夢」より


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六井 象/I

 失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。
 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。


短編小説「鋏」より

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小石薫

美代子は必死だ。一生懸命に声を張り上げて、誰かが、聞いて、興味を持って、自分のいる教室のドアを開けてくれることを、ずっと待っている。
 伝えたいことがあると言った。
 私には、あるだろうか。伝えたいもの。伝えたい気持ち。私の中にあるのは、ぬるく、濡れそぼった、この、寂しさだけ。

短編小説「夕焼け校舎」より


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金魚風船


「私の事、好き?」


「え?」


「ごめん、いきなり」


「ごっつ好きやで」


「ほんとに?」


「当たり前やろ、俺のたった一人の娘なんやから」


「そっか」


間。



「やっぱ、別のことしよっか」


「え? なんで? 凄い楽しいのに」


「じゃあ、もっと楽しそうにやれよ。そんな下ばっかり見とったらな、楽しい事も嬉しいことも、いつの間にか全部通り過ぎてしまうぞ」

短編脚本「お父さん」より

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